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帝松の歴史

江戸時代 嘉永4年(1851年)から続く歴史

酒どころ越後頚城郡姉崎で生まれた松岡祐エ門の実家は酒造りに関わる家柄で、当地で創業しました。
小川町は当時、江戸から秩父への秩父往還に加えて、八王子と上州(群馬県)を結ぶ八王子街道が交差する交通の要衝で、生活物資の集積地でした。そのため、町は賑わい、毎月1と6の付く日には市が立ち、近隣はもちろん遠方からも商人が集まり、物資の交換と交流の場として栄えておりました。そこには当然お酒を飲む消費環境が整っており、松岡祐エ門はこの小川町の賑わいに目を付けました。
それだけでなく、この地は酒の仕込みに重要な良質な水にも恵まれておりました。
秩父山系を源とする湧水が石灰岩層で浄化され、ミネラル豊富な仕込み水となって湧出します。石灰質を含んだ硬水は酵母の発育に必要な成分を多量に含み、成長を阻害する鉄分やマンガンなどの物質を含まず、酒造りには最適な仕込み水でした。
また、創業当時の小川町は米穀の少ない秩父方面と、米の生産の多い平野部を結ぶ中継ぎの穀物商が多く、米の集積地という好条件にも恵まれ、酒造りを営むには十分すぎるほどの条件を揃えておりました。
水について付け加えると、硬度の高い兵庫県の灘五郷に湧出する「宮水」は江戸時代後期から酒造りに最適な仕込み水として知られておりましたが、近年になって当蔵で仕込む水はさらに硬度が高く、ミネラル分が豊富であることが判明しました。創業当時から、すっきりとした飲みやすい清酒を醸し、質の良い酒として評判を頂いております。


創業当時の屋号は「大坂屋」を名乗り、「松榮(まつざかり)」という酒銘で販売しておりましたが、昭和に入り「帝松」を代表銘柄とするようになりました。
「帝」は日本国の最高位を表し、「松」の変わらぬ緑は繁栄のシンボルで、酒造りの頂点を末永く後世に維持していきたい。という願いから名付けました。
帝松は全体的にフルーティーで甘みのある味が特徴で、その品数は大小容器を入れると150アイテムにも上ります。
一人ひとり個人差のある消費者の味覚に合わせていたらこれだけの数に上ってしまい、多くの方々にお酒を美味しく飲んで頂きたいという一心から、今もアイテム数が増え続けております。
 

アイテム数が多いだけに、蔵おすすめの清酒を絞り込むのは難しく、どれもこれも捨てがたい商品ばかりです。
強いてあげれば、季節ごとに旬の料理で飲むのに相応しい清酒ということになります。
例えば花開く春には、搾りたての「純米生源酒」をおすすめしており、フレッシュな香りが口の中に広がり、春の訪れを心身ともに感じさせてくれます。
夏には本醸造の「初ばしり」をロックで飲むと暑さを忘れ、秋の味覚を味わう時には「ひやおろし純米酒」がぴったりです。
そして冬には新酒の「純米にごり酒」や「しぼりたて生源酒」を堪能して頂きたいです。
春夏秋冬それぞれの季節に旬の料理と一緒に飲んで頂きたい、というスタンスで仕込んでいる清酒ばかりの中で、お客様からひときわ人気のあるのが「社長の酒」です。ネーミングが珍しく、一度聞いたら忘れられないほどのインパクトがあり、実は5代目祐治の時代に仕込み始めました。
当初は清酒鑑評会用に出品するために、ほんの少量しか醸造せず、残った酒は社長が使用する贈答用などに限られておりました。
そのため、タンクの表面には「社長の酒」と書かれておりましたが、清酒が級別制度の時代だった昭和の高度経済成長期、一般には吟醸酒がまだ知られていない時代に、特級でも一級でもない無審査の吟醸酒として、一升2500円という当時では破格の値段で販売を行いました。
すると評判が評判を呼び、当時埼玉県で一番の吟醸酒を造る蔵となりました。縁起の良い出世酒として現在でも値上げせずに同価格で提供しております。

愛飲家の方々に喜んでほしいという気持ちから、酒造りの中でも特に酒米にはこだわり、大吟醸酒は兵庫県吉川町の「山田錦特A級米」を使い、純米吟醸用には山形県産の「山酒四号」、通称「玉苗」を厳選して春の酒用に選んでいるほか、岡山県産の「備前雄町」など清酒の種類によってお米やその産地などに拘り、お酒造りを行っております。
「お客様に喜んで頂けるお酒を心を込めて造ること」をモットーに、将来は世界に知られる日本の和の文化の一つに是非「日本酒」を定着させたいと願っております。